2001-06-05 第151回国会 衆議院 文部科学委員会 第15号
それはやはり、最高学府へ行って教育を学んで、そして、無学文盲と言ってはあれでありますけれども、子供たちにいろいろな知識を、あるいは子供たちだけでなく大人に対してもいろいろな助言や相談に乗ることができる、そういったものを持っておられる方が先生として赴任をされてこられる、そういう状況であっただろうと思うわけであります。
それはやはり、最高学府へ行って教育を学んで、そして、無学文盲と言ってはあれでありますけれども、子供たちにいろいろな知識を、あるいは子供たちだけでなく大人に対してもいろいろな助言や相談に乗ることができる、そういったものを持っておられる方が先生として赴任をされてこられる、そういう状況であっただろうと思うわけであります。
孔子様その他李白も偉い学者もいらっしゃいますけれども、国民の大半はつい最近までは無学文盲でしょう。そういうところでは文字というものは大変簡単に取り扱われて、古い深い学問を少数の人に奨励するよりは、全人民に簡単な文字を教えた方がいいということになりましょう。
先ほどもちょっと触れましたが、財田川事件で、目に一丁字とまではいかぬが無学文盲に近いと言われるような被疑者に、七千字にわたる手記を書かせておる。これは調べてみると本人は全然知らぬ。筆跡鑑定を求めても、これは本人の字でないというような結論が出ておるのです。だから、捜査官の捜査の方をはっきりというか、捜査の結果をチェックできるような制度が一番必要ではないかと思うのです。
それは他の国よりも人口増加率が極端に多いためなのか、それとも地理的、気候的に幾ら開発をやろうといっても、もう限度があって、農産物でも何でもそれ以上できないんだ、あるいは無学文盲があまりにも多くだめなんだとなれば、いま山中先生がおっしゃるように、教育や医療制度や、そういうものに援助を徹底的につぎ込んで、産児制限の教育を普及するなり、あるいは学校で徹底的にもっと知能水準を高めるなり、そういうところに集中的
特に、インドが二十四億ドルで、第二位の約五倍の融資額を受けているという点を私はたいへん重視をして、たとえば宗教の問題、無学文盲の多い事態、あるいは産児制限ができない事態、いろいろな原因があると思うのですが、ひとつインドにライトを当てて、インドの問題を政府はどのように見通しているのか、ちょっとお聞かせ願いたいと思うのです。
というものは、私はいろいろな文献を調べあげて言うんじゃないですけれども、これはあれですね、吉田元総理の遺稿になったといわれている「日本を決定した百年」という本がありますが、あれによりますと、まあ、明治維新で近代的な国家体制に基づく産業を育成するために、鉄道、電信、郵便の制度というものを国の事業としてやった一ずっと書いていって、政府は一般国民に対する啓蒙活動を重んじ、新聞を読むことを奨励し、当時は無学文盲
その一つの原因は、やはりこれはイギリスのたとえば「エコノミスト」の記者が指摘しておるように、あるいはまた、アジアの文部大臣会議におきまして羨望の的となったとおりに、日本があまねく教育を普及して、そうして無学文盲をなからしめた成果であるということを、日本以外の方々が称賛をし、また世界の方々が驚異をもって見ておられるということは、私は率直にこれを評価しなければならないと考えておるわけでございます。
西部のごときは、これは無学文盲の地帯で、国際情勢などわからない、経済もわからない、感情的な反共論を言っておるだけのことなんだ。これはもう日本全国どんないなかへ行きましてもこれより低い認識を持っておる国民はおりません。
それから子供が大きくなるとお役所に使えますから、どんどんその仕事を手伝わせておるけれど、いま二十二、三歳になっておる二世は無学文盲、スポークン・ジャパニーズはやるが日本字はわからない。ようやく二十年にして親たちも経済上の力もできたので、これじゃたいへんだというので、二世、三世、四世等に対してはささやかな規模の日本の学校をつくっておる。
七、八〇%無学文盲の西南アジア民族を救うのは、それらの国に発電施設を二つ三つ作ることにより義務教育を普及してやって、日本と同じように九〇%も文字を読むことができる民族にしてやるということが、アジアの発展だと私は確信しておるのですが、そういう識見を荒木文部大臣が持って、賠償問題が閣議に出て、国民の血税をこういうものに使う場合には、そういう高い識見を持って、身を挺して主張されるというくらいの気概をお持ちになるべきだと
そうして、それに対して、普通無学文盲の金のない人間でも、ひき逃げしたら慰謝料くらい払いますよ。ところが、あなたほどの方が、それをてんとして恥じないということになりますと、私はあなたの人格を疑わなければならぬことになりますが、あなたはやはりひき逃げ以下の人間でございますか。それでよろしゅうございますか。
そういうじみちな労働者諸君を職業的に扇動して、そうして何か妙な目的の方へ持っていこうとするものも多少はあるかもしれませんが、日本人は諸外国の無学文盲な労働者と違うのでありますから、私はそういう考え方、従って、あなたのおっしゃることはその点において同感であります。
これはむしろ全然無学文盲の、ただイスラム教の教義によってアラーの神を信じておる宗教――非常に堕落してはおりましょうけれども、宗教心の強い民族でございまして、共産主義といったようなものとは大体相いれない性向を持っておるはずでございます。非常に貧困だという面からは、あるいは共産主義と共通の広場を持ち得るかもしれませんが、宗教心が非常に強い、宗教が生活の大部分だという点からしますと。こうも考えられる。
最近中国に遊んで、今まで六億三千万のうち大部分が文字を解しなかったのであるが、革命後この学習運動を盛んにし、文字の簡素化をやった結果、一応三カ月学べば、——業余学習と申しまして、仕事の余暇に勉強をさせるのでありますが、三ヵ月やれば、無学文盲な者でも大てい普通の新聞雑誌を読めるようになるということを承わりまして、驚いたのであります。
ごもっともでありますけれども、満州では、御説にありました通り全く無学文盲の人がその当時多かった。中共でもまだ学問程度が行き渡っておりません。従って文字もすみずみまで浸透しているというわけには参りません。しかし申すまでもなく日本は、義務教育も普及いたしておりますし、普遍的に文字を解しておる国民がほとんど全部と言ってもいいくらいであります。
○大橋(忠)委員 今から二十数年ほど前に私が満州におりました当時、当時延安におりました毛澤東が漢字をやめて表音文字にするということを聞きまして、私はこの漢字ではとても満人の無学文盲を救って、そうして文化国家を作ることはできないというので、日本のかなをもう少し合理化し、もう少し科学的にしたところの満州がなというものを作ったらいいだろうということを提議いたしまして、満州国政府においてこれを採択いたして研究
実際仰せの通り、日本の教育は明治の初めから非常に普及いたしておりまして、従って無学文盲率においては、世界の五十三カ国を調べて見ましても、フィンランドの次に位する二番目にまで、非常に普及しております。また就学率におきましても九九・七%という、これは世界でも一番いいというくらいに普及いたしております。
しかるに朝鮮からは、一口に言えば、ごく無学文盲なる労働者をかり集めて日本に連れてきて、炭鉱とかその他の重労働にこれを使用した。そして戦争中は何といっても日本の生産向上に多大なる貢献を朝鮮人はやった。しかるに、一敗地にまみれて、ここに十年間、これら朝鮮人に対してわが国は何らの対策を講じていない。いわばこれをほったらかしてしまった。ここにおいて朝鮮人といたしましては悪いことをせざるを得ない。
けれども、顔かたちはしばらく別といたしまして、教育の誰は非常な問題になりますので、露骨に言いませんでしたが、わが方は九割九分九厘まで教育があるのに対しまして、向うはおそらくは教育のある者は全人口の二割にも足りないだろう、すなわち八割以上はいわゆる無学文盲の者でありますから、それとの混淆ということは、言うべくしてきわめてむずかしいのじゃないかということを考えておるのであります。
あるいは中には大学を卒業した人もあるだろうし、それから無学文盲の人もあるだろう。あるいは北海道と九州との間ではその言葉が全然わからない。ずうずう弁でやりますためにてんでわからない人がある。
それから、外国の事情を知つている方々が、どういうものか案外保守反動的で、普通の論理学または自由主義の伝統、自由、平等、博愛というような思想については、まつたく無学文盲である。旅券法の問題などは、それの典型的なものだと思うのでありますが、実に驚くに足りると思つておるのであります。
そこでクマラツバ氏は、それでは、あなたは共産党員でないにしても、共産主義に共鳴するかと、こう聞きましたところ、その農民は、自分は共産主義にも反対だ、こう答えまして、言葉を続け、自分は共産党員でもない、また共産主義にも共鳴しない、しかしながら、蒋介石よりも毛沢東の政治がよいということは、自分の生活が毛沢東の時代になつて楽になつたというこの事実でわかる、だから自分は毛沢東を支持するのだということを、無学文盲
併し一般的に無学文盲、他に適職なき農民は、依然として土地に止まらざるを得ないのであります。自家労力を中心として経営する農業の農業所得税につきましては、必要経費の項目、基準経費の算定、現物收入の見積う等が合理的適正に改正されるまで我々は要求を続け、我々国民の当然負担すべき負担は負わなければなりません。